タローは7歳半になり、見てはっきりと判るほど白い毛とピンク色の鼻づらになって老犬の風貌になってきた。健康な年の取り方に見えない、毛ヅヤがない。前は飛び跳ねていたタローが、動くのも大儀そうで、急に体力が落ちたように見え不安になった。
獣医に連れていくと、年を取ったのだからこんなもんだ、と言われる。食欲増進の薬をもらって帰宅する。それでしばらく様子を見たが、経過はよくない。タローが獣医にうなるせいで雑な診断なのではないだろうか、本当に老化だけが理由なんだろうか。間違いなくタローの元気は落ちている。傍にいないと不安がる。別の獣医に連れて行った。腕は悪いが(長期で勤務する獣医が殆どいない、すべてマニュアル化されている)、設備は国内屈指のひとつと評判の獣医に。
さまざまな検査を受けた。タローにもきつかっただろうと思う。そして副院長が現れ診断結果を告げられた。白血病。一度、輸血をするが、手遅れなので安楽死をお薦めする、と言う。安楽死!!??
死なせるなんて考えられなかった。白血病についていまさらながら必死で勉強する。その病院で出してくれたデータを、名古屋でMダックスのバンビがお世話になっていた獣医さんに送る。この獣医さんの飼っているワンコも白血病にかかったことがあるそう。放射線治療でハンカイという、(次に発病したら死を迎えるという)状態におさえて、いまもそのワンコは普通に暮らせていると聞く。放射線治療をやる体力が、タローに残っているのならば試してみたい。たとえ、タローが手術中に亡くなるリスクを負っても、生きる可能性が少しでもあるなら。体力をつけるには輸血が欠かせない。
犬にも何種類か、血液型があるのだ。人間の輸血に似て、一度目の輸血はどの血液型からでもひとまず可能。けれど2度目以降は、血液型を合わせなければ拒否反応が起きて死んでしまう。実際には獣医さんたちは、自分達のネットワークでボランティアの輸血犬を用意している。
けれどもボランティアのワンたちにとっても、100ミリリットルから大きい体格で200ミリリットルが一度でせいぜいで、一度献血するとそのワンは数ヶ月は献血できなくなる。
タローの血液型を調べ、タローの輸血を確保しなくちゃいけない。輸血は冷蔵で保管されていなくちゃいけない。何度も輸血を行うことは、色々な獣医に電話して尋ねても、物理的に無理だと言われた。輸血犬というのは非常に足りないのだ。
方法が一つだけ見つかった。富山に犬、猫用の輸血を用意できる施設があるそうなのだ。事情を伝え、地元の獣医さんからも連絡を入れてもらい、輸血の血をもらうために、富山に行くことに。冷蔵保存は5度くらいである程度保存期間が効くものの、移動中の自家用車で運ぶのでクール用の箱を用意してもそこまで信頼性がない。2日に一度の割合で、富山に三重県から往復で走る。車で移動している間は、冷蔵用の箱につめ、三重に血を持って戻ると獣医さんが来て、輸血をしてくれた。トラブルが起きることもあったが、皆が必死でタローのために、協力してくれた。その感謝は絶対忘れない。
輸血をするとタローは呼吸が穏やかになった。けれども同時に栄養剤を点滴すると呼吸が浅くなる。恐らく、せっかく輸血しても血液が点滴で薄まってしまうからだと思う。お願いする地元の獣医さんにもこうした輸血を続ける経験は初めてなのでは、とも思う。輸血も点滴ももちろんしなければならないのだが、血を薄めてしまうのが非常に辛い。それでもなんとか体力を付けさせて
手術を受けて欲しいと願った。
最後の輸血の日、午後10時すぎに輸血を持って自宅に旦那が来て、「タロー、また輸血して元気になろう」と言ったとき、タローの四肢が痙攣し、タローは逝った。タローの肺を必死で押し続けて名前を叫ぶ。その数分後に獣医さんが到着してくれて処置を替わってくれたがもうどうにもならなかった。最後の輸血をすることなく、タローは逝った。
多分、「俺、もういいよ、輸血してももう苦しいのが続くだけだから、輸血はもう要らない」って
タローは言いたかったんだろうか。私たち夫婦がそばにいるときに彼は逝ったことはせめてもの彼からの感謝なのだろうか。最後の輸血分を他のワンちゃんに役立てれるものならと獣医さんに渡して、その晩、タローを綺麗に拭いてお通夜をした。涙、涙、涙。

いまタローは、うちの会社の裏の山はしに眠っている。お坊さんを呼んで、戒名をつけてもらい塔婆を立てて、拝んで頂いた。タローが亡くなって2年以上経つが、いまも夫婦でお参りを欠かさない。壁を越えればこんなにもいとおしいと思うのがゴールデンなのだと、私はタローに出会って知ったのだ。
タロー、一緒にいてくれて、ありがとうね。
あたしのこと、好きになってくれてありがとう。
あたしもおまえが大好きだよ
もっと早く出会いたかったね
もっと一緒にいたかったよ。
補足。
タローは白血病(リンパ肉腫)のため脾臓がやられて極度の貧血となり、輸血を繰り返しながら手術を待ち、最後にはその手術直前の輸血が届かず、残念ながら逝った。
人間の世界とは違い、犬の輸血は日本ではまだ販売されていない。アメリカでは普通に手に入るそうだ。(但し、かなり高値である) 日本では獣医さんによっては、血小板など、それぞれで乾燥粉末の形状にして揃えているところもあるが、長期保存がきかず、これもまた値段が高い。それに入手自体、熱心な獣医さん以外からは難しいことだと思う。
これだけ人間がペットと共生する日本社会であるのなら、病気になったときの対策として、輸血は常備しておけるものであってほしい。
飼い主として出来ることは、定期検査以外にも、血液型検査もあらかじめ行っておくこと。
人間で行われているのと同様に、犬自身の自己血も保存することも一部では可能となってきているそうだ。いざ必要に迫られて輸血しようにも、犬とマッチする血液型を知る検査に一日かかってしまう。。。緊急性に対処するには血液型を飼い主が知っておく必要があると強く思う。
結婚してバンビと一緒に三重県に来てから、ゴールデンレトリーバーに出会った。旦那のイヌだった。ねじれのある性格で、最初は体にも触れさせず、私にうなる。私だけにではなく、旦那以外、たいていのひとにうなる。ふつうは、ゴールデンってひとなつっこく明るく穏やかなんやないのか?大型犬でうなるって、、しかも今まで何人にも噛み付いているって。。コワイやん。
私はその後、2度タローに噛まれた。病院に行って手当てを受けてなんとも非常に情けない。結婚したてで結婚生活も落ち着かず、旦那の仕事を手伝うにも不慣れで怒られてばかり。旦那の飼い犬には噛まれてうまくいかない。ものすごい田舎に嫁いだために、ビルもデパートもなくストレスがたまる。それでも生まれつきの「ええかっこしい」の私は、タローを可愛がることを決めたから散歩や世話は私がする。
タローはその頃6歳だった。訓練しなおすのに遅いということは無いだろうけど、タローは噛んだりうなったりするものの、ものすごく寂しがりやなんじゃないかとも思った。噛まれてからしばらくは私も隙を見せず、タローと距離をおきながら付き合ったけど、私が近寄ると、タローが横向きに近寄ってくるようになった。撫でてやると、気に入っているようだ。それなりに気持ちいいらしい。背中を見せるようになり、私のそばで寝そべるようになり、催促で前足を私に置くようになった。ここまでに1年かかっていた。旦那と私とタローで(バンビを近寄らせることは怖くてとても出来なかったけど)、近くの池に釣りに行ったりした。意外に、ゴールデンっていとしい。。
他の人たちには相変わらずうなり、吠えるタローだったけど、私は多分、タローとの間にある壁をなんとか越えることができたんだと思う。壁がなくなれば、間違いなく、ゴールデンレトリバーはひとなつっこかった。私がタローのおかあちゃんになった。
憧れはMダックスだった。学生の頃、BSで「愛犬百科」(フランス制作)を見て、さまざまな犬種の特集を録画して何度も見、そして将来はMダックスを5~6頭は飼って暮らしたい、とゆーのが私の夢だった。テレビでは森のなかでMダックスが何頭も走り回り、けれど奥さんが呼ぶ声で一斉にいろんな方向からビュンビュンと飼い主の家に駆け戻ってくる姿があった。「ええもんやなあ・・。Mダックスってええなあ」。エディンバラに行ったとき、確かキングスロス駅だったと思うが、お洒落なコートと帽子を装った白髪のおばあさんが5頭のMダックスをリードで歩かせ、姿勢よく、ブーツで闊歩している姿に惚れ惚れした。本当は駅構内はワン連れは禁止されているはずだったけど。そしてそのおばあさんはそのまま列車に乗った。それも禁止されているのだが、でもでも何とも言えず、カッコよかった。
公園に行けば多くの犬を目にする。小型犬にも、大型犬にも。飼い主がドーベルマンにレタスを投げて、ドーベルマンがキャッチしてレタスを丸ごとバリバリと食べる。・・これじゃない。ダイナミックな遊び方だが、こういうのは苦手。大型犬はちょっと怖い。
それにひきかえ、小型犬のかわいらしいこと!小さいのに足の速いこと!そしてアブナイことがありそうなときには簡単に私にも抱きかかえることができる。将来は広い庭を持ち、Mダックスをたくさん駆け回らせる。歩くときはどこでもお洒落に。「私の目指すのはこれや!!」 そして私はMダックスをまず一頭、知多のブリーダーさんから、家族に迎えた。これが、バンビ。彼女はいま10歳になった。仔犬のバンビは初めて出会ったとき、その愛らしい瞳で私を見たとたん、ちょこちょこ歩いてきて、私の膝の上で丸くなった。私と相性バツグン、なのだ。彼女は非常に賢く、ヒトの言葉がわかっているかのようだ。そしてとても嬉しいことに、いまだに元気まっさかりなのだ。
バンビちゃんには残念なことにMダックスの仲間がいない。私のMダックス多頭飼いの夢は頓挫している。それは、黄金のイヌを多頭飼いする羽目になったからだ。
今日、ブログをはじめました。いま私の傍で過ごしてくれるゴールデンレトリバーたちの日々の記録をなんらかの形で残せたら、と思いついたのです。もし、この子達がいなければ、私の生活はもっと味気ないものだったでしょう。
私に傾けてくれる愛情を、ちゃんと私は彼らに返せているでしょうか?ヒトより短い生を享けた彼らと、彼らの最後の時間まで、どんな心構えをし、どう取り組んだらいいのか?その最後の時間が予測もつかない形でおとずれることもあるでしょう。失ったあとに取り返しのつかない悔いを味わったことのある私は、いまこれから本当の意味で、一緒にいてくれている彼らへの責任をまっとうしようとする強い意志をもつ必要があります。真剣に、注意深く。
欲張って言えば、ネットという不確定な世界ながらも、この場をかりて、ペットを家族の一員としていつくしんでいる人たちと知り合うことができ、なにか思いをわかちあうことが出来れば、こんなに嬉しいことはありません。
怠け者の私が、ブログを続ける意志も授かりますように。。