タローが逝ってから、私の旦那はペットロスになった。タローが白血病とわかる少し前に、新しく引越した家にタローの小屋を作り、タローも大きな小屋に引っ越す予定でいた。また、タローに彼女を作ってやりたい、と我が家の第2の黄金のイヌであるハナを家で育て始めていた。ヒトの勝手な思い通りにはいかない。タローは一度もその小屋で過ごすことはなかった。家の応接間にタローの部屋を用意してそこで看取ることになったから。タローが病気になって彼の関心はタローだけになり、育て始めたハナを旦那は「うるさい」と言って無視するようになった。
私の旦那のタローの育て方は、冷たい言い方をするようだが偏っていたと思う。タローが誰にでもうなったり噛み付いたりするワンになってしまったのは、しつけ方が誤っていたと思う。獣医さんにうなったり噛もうとしたりするワンは、病気になったときになんと厄介なことか。診てもらうことすらスムーズにことが運ばない。タローは横浜のブリーダーさんから頂いたが、AMチャンピオンのワンの血を継いだ、血統としては立派なワンだった。タローの兄弟たちは有名芸能人や、ある会社の社長さんのもとにいて非常に賢い。つまりはやはり、タローがねじれっ子になってしまったのは、育て方が間違っていたからだ。大きなワンであればあるほど、皆に愛されるような子に育てなければ。
旦那と結婚して6歳のタローに出会って以来、それは私と旦那の間でよく起きる衝突の種だった。誰でも「あんたの犬は、あんたの育て方がわるい」と言われれば腹が立つ。タローがいるために、私の可愛いバンビが噛まれたりするような危険を避けるために、旦那の両親のもとにバンビを預けざるを得なくなったことも、私の怒りに拍車をかけていた。たしかに大型犬と小型犬を同時に飼っていると、お互いに遊んでいてもその最中に圧死などで小型犬が事故死した話をいくつか聞いていたので、バンビを大型犬から遠ざけるために私と別の家で暮らしたほうが良いとは思うのだけど、それでもそういう理性は無視して、とにかく自分が我慢しなければいけないことが腹立たしかった。タローは壁を越えればいい子なのだ。その壁をタローに作らせてきたのは旦那だと、私は思った。外の4畳ほどのサークルのなかに犬小屋を入れてタローはそこで暮らしていた。タローはもっと近いところで私たちと一緒に過ごしたかった筈だ。
タローの死後、旦那は相当参っていた。尋常の悲しみ方じゃない。朝から泣いている。タローの写真を見、タローから少し取った毛を見ては泣き、自分の育て方が間違っていたことを悔やんで泣く。そして仕事に手がつかない。彼は何もできなくなっていた。そしてあいかわらず旦那はタローのお嫁さんにしようとしたハナを無視していた。旦那のために言っておくと、旦那は本来意地悪な人間ではない。むしろ非常に無邪気で優しい部分を持ったヒトなのだ。でも、そういう良い部分が隠れてしまっていた。タローの死を私が悲しんでいないわけはない。悲しいに決まってる。でも、私の悲しみと旦那のとは、質と重さが違っていた。私がタローを知っているのはたった2年。旦那はタローと歴史を歩んできたのだから。
私だけでハナちゃんの面倒を見て、このひどい時期はいずれ好転するのだろうか、いつになったら彼は立ち直るのだろうと、私自身も非常に疲れていた。意外に会社の従業員のひとたちは優しかった。彼らもワンを飼っているからだろうか、タローを知っていたからだろうか、悲しんでる旦那の代わりに、進めていかなければいけない仕事をカバーして一緒に動いてくれた。どうしても旦那に決めてもらわなければいけないことだけ保留として、他のことは私も含めてみんなで片付けていくことが出来た。ありがとうございました。
重苦しい気持ちで過ごしたあの頃、はっきりと覚えていることの一つは、ハナちゃんがサークルの網と網の隙間に爪をはさんでしまい悲鳴をあげたとき、タローがウォン、ウォンと吠えたことだ。亡くなる2日前だった。もう呼んでも目をなかなか開けようともせず、ハアハアと浅い息を吐きながら、あれほど大嫌いだった獣医さんにも一切抵抗できなくなっていたタローが首をあげて吠え、私に「早くハナのところに行って、見てやれ」と言ったのだ。だから私はハナちゃんに、心配してくれたタローおじちゃんのことを忘れちゃだめだよ、といつも言って聞かせていた。まあ、通じたかどうかはわからないけど、タローに出会った黄金のイヌはハナちゃんだけだったから。
ハナは私と過ごし、旦那には近づくものの、かまってもらえないこともわかるようだった。それがかわいそうな気がして、私はハナちゃんが悲しくないように、うちに来て良かったと思ってくれるように旦那の分まで彼女を慈しもうと決めた。
ハナちゃんは近くの町にある訓練所から来た。生まれつきしっかりした顔をしており、気の強そうな瞳のぱっちりした美少女だった。